「白い杖、いきいきと街へ―視覚障害者福祉への提言」  鈴木 健夫

視覚障害者といえば、点字と白杖くらいしか思い浮かばないほど何も知らない状態でこの本を読みました。
言われるとなるほどと思うのに、それまで気づかないことってたくさんあります。たとえば、私たちは「目印」を利用して道を覚えます。
あの看板が見えたら左、とか。目が見えない人はどうするんだろうと思えば、「聞き印」を使うのだそう。いつも同じ場所で音を出すもの、踏み切りやテレビ屋などを印として覚えるらしい。

他にも、名前を呼ばれずに話しかけられると自分に話ているのか、別の人なのかわからない時があるというのや、握手などのスキンシップの大きさについても改めて気づかされました。

あと、初めて知ったのは視覚障害者の職業の幅の狭さでした。
これは元々社会がサポートするという概念のなかった時代に、目が見えないのなら一定職しかできないという考えが当人も含め社会全体に浸透していたことが原因でしょう。
それが、今でも定常化しているのは問題です。「目が見えないなら、この道しかないだろう」などと医師や施設員は間違っても言うべきでなく、本人がどんな職でも選ぼうと思えるような環境作り、そしてそのサポート体制を整えていくことが必要とされているのではないでしょうか。

お金も人員も足りない中、期待はボランティアにいくけれど、これから求められるのは質の高いボランティアです。
それには今までのようなボランティアの概念では限界があるのではないかと思います。
ボランティアとは双方にとって利益があるものだという理解が大切なのではないでしょうか。

もしも私の目が見えなくなったら、将来に対する絶望という精神的ダメージと、外を歩くのが怖いという身体的ダメージがあると思います。
これは、私だけではなくて目が見えなくなった多くの人に共通することのように思います。ここで、安心できるようなカウンセリングやサポート体制があればどれだけ勇気づけられるかわかりません。著者も述べているように、カウンセラーの各所配置は欠かせないでしょう。それは海外の様子を見ても思いました。

社会の注目が福祉に集まっている今が改革の時期なのでしょう。
イギリスのように先を歩いている目標があることだし、良いところを見習いながら日本も頑張っていけたらいいと思います。
私に何ができるかわからないけれど、知ることがまずは第一歩だと思っています。

自分の最小限のスタートラインをしっかり見定める。
そこから一体、自分には何ができるのか、さらに “自分でなければできないことは、何だろう?” まさにこの事を考えていく。
この肉体的なハードの状態は同じでも、ソフトとしての心の持ち方をマイナスで見るか、プラスで見るか、ここには天と地の差がある。

★★★

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