「ぼくのメジャースプーン」  辻村 深月

「書き終えるまで決めていたのはただ一つ、
      <逃げない>ということ。――私の自信作です」――辻村深月

ぼくらを襲った事件はテレビのニュースよりもっとずっとどうしようもなくひどかった――。
ある日、学校で起きた陰惨な事件。ぼくの幼なじみ、ふみちゃんはショックのあまり心を閉ざし、言葉を失った。彼女のため、犯人に対してぼくだけにできることがある。

チャンスは本当に1度だけ。これはぼくの闘いだ。

物語のクライマックスに向けて、すごく求心力があって、ついつい一気読みをしてしまった1冊です。小学生が主人公なだけあって、シンプルな、だけど大人でもすぐに答えられない、「正しい答え」のない問いかけが溢れていました。

命の重さについて、人の「悪意」について、エゴと愛について、など、立ち止まって考えさせられることが多くて、中身がとても濃かったように思います。
そして、物語を通して存在した「理不尽に傷つけられたことに対して、自分が相手を意のままにできる術があったらどうするか」という問いかけ。
理不尽に傷つけられたのが自分だった場合と、大切な人だった場合で答えは変わってくると思いますが、私の場合、傷つけられたのが自分であったら、「相手に対して何もしない」。小説に出てくるような力があれば、相手を自由にできたらきっとすごくすっきりすると思います。
ただ、私も因果応報を信じていて、自分が加害者になるくらいなら、信頼できる人に相談することはあっても、相手に対して何かしようとは思わないです。

ところが、傷つけられたのが大切な人であった場合、果たしてそう思えるかというとまるで自信がないです。たとえ誰も喜ばなくても、相手を懲らしめようとしてしまいそう。そして、大切な人が喜ばない、周りの人が傷つくかもしれないとしてもそれを実行しようとすること、それは結局のところエゴなんでしょうね。それでもそれもまた愛だと話す秋先生の穏やかな口調に救われる気がしました。

この物語の主人公はこの年齢でなくては成り立たない、絶妙な年頃ですよね。
「蚊や蠅は殺していいのに、なんで蝶やトンボはだめなの?」といった問いかけに咄嗟に答えられない自分に気付けたことも発見でした。それから印象に残っているのは、今幼稚園などでウサギ小屋を置かなくなったりした理由。

子どもが成長し、いずれ人の「悪意」と出会う日がくるのだろうけれど、できることならそんな日が訪れなければいい、と願わずにいられません。
ラストがすごく、よかったです。

「責任を感じるから、自分のためにその人間が必要だから、その人が悲しいことが嫌だから。そうやって『自分のため』の気持ちで結びつき、相手に執着する。その気持ちを、人はそれでも愛と呼ぶんです」 (p489)

★★★★★

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