「アリの町のマリア 北原怜子」 松居 桃楼

貧困にあえぐ「アリの町」で、人々の心のマリアとなった北原怜子。
戦後の荒廃のなかで、ひたすらの愛だけに生きた彼女の29年の生涯を描く。

知らなかった戦後日本の一幕を垣間見ました。

アリの町のマリア、北原怜子さんを知っていますか?
年配の知り合いの方に強く勧められて本書を読んで、とても衝撃を受けました。
日本にもこんな、マザー・テレサのような方がいたことに。
奇しくも彼女は去年、教皇フランシスコより「尊者」という敬称がつけられたとのこと。

これは、戦後の浅草、隅田川のほとりにあった「蟻の会」すなわちホームレスの人々がバタヤと呼ばれる廃品回収業を営み、結束して人間らしい生活を勝ち得るための会、において、裕福な教授の家に生まれながら自身もバタヤとなりともに交わい、献身的にすべてを捧げた女性の物語でした。

では、ただの「いい話」なのかというとそうではなく、ところどころにハッとさせられる気付きがあります。
怜子は何も完璧な女性ではなく、迷いながらも前に進む不屈の精神を持った女性でした。

人の支援をするときに、『助けてやる』という上から目線になっていないか、一方的な押し付けになっていないか、厳しく追求される場面もありました。
やらぬ善よりやる偽善、とはいいますが、果たして自分の行動が偽善ではないのか、利己心に満ちた行動ではないのか、とことん真摯に見つめ、過ちに気付いたら即座に正そうとする姿勢に襟を正す気持ちでした。

私はあまり自己犠牲の精神というのが好きではないけれど、それでもここまで命を捧げた人の行いを尊いと思わずにはいられません。これが実話に基づいていることに勇気づけられますが、真摯な想いは人の心を動かすのですね。

彼女自身も素晴らしいですが、私はそれと同時に彼女のご家族の素晴らしさに胸を打たれました。年頃の娘がゴミ箱等から廃品を回収して歩く部落に自ら立ち入り暮らしたい、自分の人生をそこで捧げたいと言ったとして、それを応援できる親がどれだけいるでしょうか。
まして、こんな言葉をかけられるでしょうか。

「一言いっておきたいのはね・・・お前が生きたいから行く、だが、そのうちに飽きたから帰ってくる・・・では、いけないということだ。
飽きなくともよりいい仕事を見つけたり、あるいは、結婚という問題も、ないとはかぎらない。
そういうときに、去っていくものはいいとしても、あとに残された人たちの立場や、淋しさというものもよく考えなければいけないからね」

戦後という人が生きるには厳しい時代だったと思いますが、人間愛というものを信じてみたくなるような、宝物にしたくなるような物語でした。これは、実話なんですよ。

「いつも言うとおり、もう終戦後は憲法まで変わっているんだから、家を継ぐ義務はないし、このお父さんは、年をとったからって、子どもたちに養ってもらおうとも思っていない。

・・・親は子を、自分よりすぐれたものに育てげて、世の中に送り出す義務はあるが、子どもたちに自分を養わせて、少しでも社会に尽くす力をマイナスさせる権利はないと、お父さんは思っているのだ。

・・・だからね、それが社会に害のないことだったら、子どもが何をしたって、お父さんは反対しないつもりだよ」 (p134)

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