「きみ去りしのち」 重松 清

幼い息子を喪った「私」は旅に出た。前妻のもとに残してきた娘とともに。
かつて「私」が愛した妻もまた、命の尽きる日を迎えようとしていたのだ。

恐山、奥尻、オホーツク、ハワイ、与那国島、島原…

“この世の彼岸”の圧倒的な風景に向き合い、包まれて、父と娘の巡礼の旅はつづく。
鎮魂と再生への祈りを込めた長編小説。

喪失感との向き合い方を、静かに探る1冊でした

幼い子を亡くした親と、これから親を亡くす子が交叉する物語でした。
雲が空を流れるように、旅をし、流離い、日本各地の景色を目にします。さまざまな人と出会い、別れます。 続きを読む

「十字架」  重松 清

いじめを苦に自殺したあいつの遺書には、僕の名前が書かれていた。
あいつは僕のことを「親友」と呼んでくれた。でも僕は、クラスのいじめをただ黙って見ていただけだったのだ。
あいつはどんな思いで命を絶ったのだろう。そして、のこされた家族は、僕のことをゆるしてくれるだろうか。
自ら命を絶った少年。のこされた人々の魂の彷徨を描く長編小説。


ここ最近の重松さん本はすべてそうですが、この本も重松さん好きの友人が貸してくれたものです。
「いじめ」により自殺をした子どもをテーマに扱ったこの本は、とても、とても重かったです。 続きを読む

「とんび」 重松 清

昭和37年の夏の日、瀬戸内海の小さな町の運送会社に勤める“ヤス”に息子アキラ誕生。
家族に恵まれ幸せの絶頂にいたが、それも長くは続かず……。
高度経済成長に活気づく時代と町を舞台に描く、父と子の感涙の物語。


不器用な親と子の物語。
さまざまな家族の形が登場する中で、家族とは何か語りかけてくれる一冊でした。
旅先に向かう電車の中で読んで涙をぽろぽろ流し、帰りの電車で読んで再び泣いて… これは、外で読んではいけない本でしたね。

泣ける本として名高いのは知っていたのですが、人前で泣くほどではないだろう、と思っていたら甘かった。
親が子を想う気持ちが熱くて、深くて。泣き所が多いです。
親と子って、考えてみればすごい繋がりだよなぁとしみじみ。

昭和が舞台だからか、どこか懐かしい、ノスタルジックな気持ちになりました。
いつか自分が親になった時にもまた読みたい。

大事に思うとる者同士が一緒におったら、それが家族なんじゃ、一緒におらんでも家族なんじゃ。
自分の命に替えても守っちゃる思うとる相手は、みんな、家族じゃ、それでよかろうが。 (P342)

★★★★★

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「ビフォア・ラン」 重松 清

重松さんの長編デビュー作。
卒業を前に、特別カッコいい何かをしてない気楽な自分に焦る優。
そんな時、授業で「トラウマ」という言葉を知り惹かれ、友人らとトラウマ作りをすることを思いつく。そうして始めたトラウマ作りだが、ひょんなことから現実と妄想がリンクしだす。


デビュー作から間違いなく重松さんの小説でした。
高校生の頃の、あの何とも言えない焦燥感や疎外感、浮遊感の再現が絶妙です。
もうとっくに忘れてしまったような感覚を、重松さんはずっと大切に持っているんでしょうか。他の小説でも、子どもの感覚などをすごく丁寧に再現されてますよね。

この小説では高校3年生の1年間を描いていますが、たった1年とはいえ、この時期の1年は人生の中でもとても濃い時間を過ごせる時だと思います。
それは卒業後、様々な進路に進む彼らの助走期間。
タイトルの通り、「ビフォア・ラン」の物語でした。

「いい子」でいることに孤独を感じ、嘘に飲み込まれてく紀子の心情が私にとって一番感情移入しやすかったように思います。
誰もが出し惜しみすることなく精一杯に生きている様子に、かっこ悪くも眩しさを感じる青春小説でした。

★★★☆

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「きよしこ」 重松 清

重く、やさしい語り口調が最初から私の心を揺さぶりました。
これは、「きよし」という少年の物語です。
吃音があって、すらすら喋れない少年のお話。

胸がざわざわするのに、じんわり温かくなって、涙が出ます。
とにかく、優しい。
悔しくて悲しくてずきずきする出来事がたくさんあるのに、それを見守る何かがとても優しい。
それは、もしかしたらタイトルにある「きよしこ」なのかもしれない。
「きよしこ」は、大人になったきよしのようでも、月の妖精のようでも、ただの夢の人物のようでもある不思議な存在。

最初に「君を励ましたり支えたりするものは、君自身の中にしかない」とあるように、何か教訓めいたことを言ったり、批判したりすることは一切ない。
それでも少年の物語を通して、はっとするような気付きが散らばっています。
中でも「伝える」ということに関しては特にたくさん。
それにしても重松さんは、悲しみや悔しさの表現がすごく上手い。
ああわかるよその感じ、としょっちゅう胸が痛みました。

個人的には、ワッチのエピソードが小さな棘のように長く痛みを残しました。
そして主人公を自分と同じ名前である「きよし」にしたところにまた、強いメッセージを感じました。
「それがほんとうに伝えたいことだったら・・・・・・伝わるよ、きっと」
最後まで泣きたくなるくらいに温かい小説でした。

<追記>
こちらのコラムで重松さんが書かれていますが、「きよし」のモデルはやはり重松さん自身みたいです。このコラム自体も「きよしこ」同様、すごく温かみのある言葉に溢れており改めて重松さんの人柄を感じられた気がします。

「誰かになにかを伝えたいときは、そのひとに抱きついてから話せばいいんだ。抱きつくのが恥ずかしかったら、手をつなぐだけでもいいから」  (p43)

「ええか。今日は一生のうちでたったいっぺんの今日なんじゃ、明日は他のいつの日とも取り換えっこのできん明日なんじゃ、大事にせえ。ほんま、大事にせえよ、いまを、ほんま、大事にしてくれや・・・・・・・」  (p149)

★★★★☆

「ナイフ」 重松 清

主に「いじめ」と「家族」をテーマにした短編集。
現代の家族を書くことを大きなテーマとしている著者だけあって、リアルな温度を感じる作品ばかりでした。
決して軽くはない話です。
むしろ、読了感はずしんと重い。
壮絶ないじめの描写には、思わず背筋がぞわっと毛羽立ちました。
それでも救いがないわけじゃなく、温かさも感じる作品たち。

「ワニとハブとひょうたん池で」

プライドを持って生きる主人公の健気さと強さがとても眩しく感じました。
私も同じ立場だったらきっと、両親には何がなんでも隠すんだろうな。
ゲーム感覚でしているのが、本当にタチが悪い。

「ナイフ」

弱いくせに、不器用なくせに、かっこいい父親の話。
“生きることに絶望するような悲しみや苦しみには、決して出会わないように”
子どもが生まれた時に、そう祈ったというエピソードに目頭が熱くなりました。
親の愛とはこんなにも大きいんだろうか。

「キャッチボール日和」

どうして息子の生まれた父親って、キャッチボールをするのが夢だと思う?
“キャッチボールは、向き合えるからだよ”
理想通りじゃなくても、期待通りじゃなくても、愛すべき存在。
最初から誰もがそう思えるわけじゃないんだ。
そんな当たり前のことと、反省ではなく必要なのは後悔、という話がグサッと刺さりました。

「エビスくん」

親友だろ、ってなんて嫌な言葉、と何度も思いました。
そのくせ純粋な主人公の切なる願いに泣きそうになりました。
“あいたいなあ、ほんま、ごっつ会いたいわ。どこにおんねんや、きみはいま”
哀愁を伴う余韻が少し心地いい。

「ビタースイート・ホーム」

一生懸命生きてるからこそ間違うし、難しい迷路に迷い込む。
でもそれは悪いことじゃない。そう思える話でした。これが家族であり日常なんだ。
まさにタイトル通り。

そして何気にずしんときたのが、あとがき。
著者の重さの原点を垣間見た気もしました。
死はきっと著者にとって遠い存在ではなく、身近に感じるものなんだろうな。

「親が首を突っ込むっていうのは、屈辱なんだ。恥ずかしくてたまらないから、こないだも、おまえを殴ったりしたんだよ。泣き言なんか言いたくないし、自分の負けてるところを家族には見せたくないんだ」  (p89)

★★★★

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「永遠を旅する者」 重松 清

普段本を読まない弟が絶賛しながら貸してくれました。
(この本は、「ロストオデッセイ」というゲームのために重松さんによって書かれた短編集です。ゲームにはファイナルファンタジーの生みの親である坂口さんや、スラムダンク作者の井上さんも携わってます)

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老いず、死なず、幾多の出会いと別れを繰り返し続ける男、カイムの物語。
悠久の時間を生きる寂しさや哀愁が根底にあり、そんなカイムの目から見た刹那の人の生がとてもキラキラ輝いて見えました。
1000年もの時の中で迷いと葛藤を抱える時もあれば、すべてを達観している時もあり、読み進めることで改めてその時間の果てしなさを感じます。

限られた時間だからこそ、人は生きる意味を見つけたり、日々を大切にできたりするんだ、(でも、永遠を生きる自分にはできないことだ)といった切ない気持ちが胸に響きました。
「七十五年目の蝉時雨」「天国にいちばん近い村」「白い花」が特に好きでした。このテーマを書くのに、重松さんは最高の人選だったと思います。

「幸せは、『長さ』じゃないんだ」
「え?パパ、それってどういうこと?」
「咲いてる時間がどんなに短くても、その時間をせいいっぱいきれいな花を開いて、甘い香りをたちのぼらせることができたら、それで花は幸せなんだよ」

★★★★

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「舞姫通信」 重松 清

暗い。そして重い。
最初のうちはよかったものの、読むにつれて読むのがどんどん辛くなっていきました。
けれど、いろいろと考えさせられることが多かったです。
逃げ道としての自殺ならわかるけど、理由もなしに “なんとなく” 死んでみたいというのは、どうなんだろう。
生とはそんなに軽いものでしょうか。

「人はいつでも死ねる」
繰り返しでてきたこの言葉、確かに理屈ではそうだろうと思う。
でも、死ぬってそんなに簡単なことじゃないと思うんです。この言葉を唱える人たちの中のどれほどが死に直面した時にそれを受け入れることができるのだろう。
私が何よりも怖かったのは、自殺よりも無気力に生きることでした。
生きる意味も見つけられないけど、死ぬ意味も見つけられないから生きている。
それは、本当に生きていると言えるのでしょうか。救いが見えない気もしました。

生きる意味を言える人なんてそうそういないだろうけど、それでも生きていて楽しいと思えればそれで十分じゃないのかな・・・。
最後の、祈りにも似た舞姫通信で少し救われたかもしれない。
他の人が自殺をする権利は奪えないけど、私も好きな人たちにはできるだけ長く生きていてほしいと思います。

★★★☆

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